30周年記念誌(30th ANNIVERSARY)
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本日はあと施工アンカー30周年記念という大変晴れのステージに上がらせていただき、少し面白い話をしようと思います。お手元にプリント物が配られたかと存じます。「コンクリートと鉄筋の時代」「内藤多仲」「カラーの画像」があります。よくよく画像を見ますと、建築の神様がおりまして、先が曲がったものを持っています。この神様というのが一体誰かというのを、お話したいと思います。私は、構造調査コンサルティング協会で天井耐震改修、耐震化における天井評定をしております。天井の評定は、天井脱落防止を図るわけですから、あるときは水平力を周りの梁とか壁に分散しなくてはいけません。そういった際に、あと施工アンカーの技術が生きてきます。今日ご列席されている松埼先生とは4年間ご一緒させていただきまして、非常に優しく人間味あふれた方で大好きです。私どもはおそらく日本で一番多くのホールの評定をしていると思います。約50ございまして、最近は、東京国際ホールの評定を行いました。さて、先ほどの話の続きですが、安政大地震が1885年M8.0、濃尾地震が1891年M8.0、関東大震災は1923年でM7.9です。関東大震災では、まだ鉄筋技術が発達していなかった時期で、当時、内藤多仲さんが耐震技術に目をつけ、日本の耐震構造の基盤を作られた先生だと思います。私どもと内藤先生がどういう関係があったかというと、実は大隈講堂を約3年前から耐震改修工事をしており、構造計算が内藤先生でした。私は学者というより現場をやりながら天井に行き着いたわけですが、水平力を同時に取るといったとき、どうしてもあと施工アンカーに頼らなければいけない。その技術がもし上手にやれていなければ、もちろん構造としては失敗になってしまいます。そういった改修技術の難しさを覚えながら、多くのことを蓄積させていただきました。大隈講堂の設計は佐藤功一先生ですが、音響設計は佐藤武夫先生がされているんです。アメリカで勉強されているのですが、どのように振動が伝わるのか、水中に模型を作り、例えば、舞台から見て、客席にどのように当たって反射してくるかを研究されているんですね。その様子がテレビでやっていまして。技術は、何か工夫しながらやれるのだなと大変感心いたしました。さて、最後に「建築の神様とは誰でしょう」というお話に戻ります。実は(意外と当たらないもので)聖徳太子なんですね。これは、私も発見しまして驚きました。孟子の教えに「規き矩くじゅんじょう準縄」という言葉があります。「規矩」の「規」はコンパス、「矩」は直角に折れ曲がったかね尺、「準」は水準器、「縄」は直線を引くすみなわのことです。この中の『矩=差し金』を日本に持ち込んだのが聖徳太子と言われています。法隆寺のような建造物を初めて日本で作るためには、道具と技術の伝承は絶対に必要だったことは間違いございません。結論をお話しますと、あと施工アンカーの施工には、多くの基準がありますが、神が宿るような技術と考えてもいいのではないかと。RCの建物に神が宿ることは、少し突飛な考えかもしれませんが、そういった心のある、あるいは神様が見ているという技術もあってもいいのではないだろうか、という少々勝手なことを言いまして、私の挨拶と代えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。安心・安全を30年~30周年記念誌~ |安心・安全を30年~30周年記念誌~ |1717一般社団法人構造調査コンサルティング協会専務理事  尾 﨑 猛 美祝辞

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