30周年記念誌(30th ANNIVERSARY)
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本日は感謝状を頂戴いたしまして、大変恐縮しております。私の方がJCAAに感謝状を贈らなければならない立場と認識いたしています。64年前に化学技術者を目指して上京し、その後、道を変えて建設業界に飛び込んで60年が経とうとしています。それから建設の構造設計に移りまして、昨年亡くなられた磯崎新さんの初期の作品である福岡の博多駅前に建てられた、福岡相互銀行本店建設の構造設計担当となりました。完成模型も出来上がり、頭取に説明するという前日の夜中に、「細川君、大地震の時に、この建物はどこから壊れ始めるのか」と質問がありました。今から50年以上前のことです。当時は、設計したものがどこから壊れるか意識しておらず、地震力に対して決められた強度を満足する程度の話しかしておりませんでした。その中での磯崎さんの思いもよらない問いかけに、瞬時には応えられず、私自身の力不足を痛感させられました。このままではいけない、勉強し直そうとの思いから、32歳で事務所を退所してフリーターとなりました。その後、御縁あって千葉大学の村上雅也先生の計らいで、東京大学の梅村魁先生に声をかけていただき、学歴もない私を助手として推挙いただきました。念願の構造実験に明け暮れる日々の中で、当時岡田先生が中心となって進められていた「耐震改修方法の中に接着系あと施工アンカーを加える」というプロジェクトに、東京大学側の実験担当者として参加し、芝浦の山本先生、東大の塩原先生方々と関わった実験があり、初めて「あと施工アンカー」というものに出会いました。その後、松崎先生と田中先生にご指導をいただきながら多くの実験を行い、あと施工アンカーに関する知識を深めていきました。それ以来40年にわたって何らかの形であと施工アンカーに関係してきた人生ということになります。私にとってのあと施工アンカーは、実に素直で、正直で、隠し事ができない、純真な心そのものに思えてなりません。あと施工アンカーは、言葉こそ発しませんが、ある時は私の心の支えとなり、ある時には叱られ、そして喝(活)を入れられ、また私が悩み苦しんでいるときは、「よく考え、時期を待て」と激励され、あと施工アンカーがコンクリートの中でじっと耐え、頑張って役割を果たしていることを考え、まだまだ頑張らなくてはならないと自分に言い聞かせたりもしました。そういったことで、あと施工アンカーは本当に私の恩人でもあり、理解者であり、相棒であり師匠であり、心の原点であると思っております。「身の丈に合う」という言葉がありますが、あと施工アンカーは種類も多く、形式も多様でそれぞれ与えられた身の丈があると思います。アンカー提供者・設計者・施工者の方々には、それぞれの製品の特質を知り尽くし、決して無理をさせず、色々な角度から検討して、適材適所の選定が必須の条件であることを肝に銘じていただきたいと思います。JCAA関係者の皆様、これは私からのお願いとなりますが、これからも、社会から信頼されるあと施工アンカーとして、JCAAを中心としたワンチームとして頑張っていただきたいと思います。そのためには、「逃げない、隠さない、ごまかさない、そして目をそらさない勇気」を持つことを守り続けていくことだと思っています。最後に、これまで受けた御恩に対しまして、恩返しのためにも会員の皆様の中で、困ったことや私がお役に立てるところがありましたら、全国どこへでも駆けつけますので、何なりと申し付けください。本日はありがとうございました。24| 安心・安全を30年~30周年記念誌~24| 安心・安全を30年~30周年記念誌~細川建築構造研究室代表  細 川 洋 治感謝状贈呈/受贈者挨拶

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