30周年記念誌(30th ANNIVERSARY)
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協会設立30周年、心よりお祝い申し上げます。世間的には、30年というと1ジェネレーションに相当し、人生に例えれば“いよいよベテランの域に入ってきた”という感じでしょうか。私とあと施工アンカーとの出会いはもう少し古く、40年ほど昔M1の学生だった頃まで遡ります。所属する研究室が引抜き試験法の開発を受託し私が実験を担当したのですが、助手だった細川さんと試行錯誤で治具を作り、留学生の全君と一緒に手押しポンプでひたすらアンカーを引っ張った記憶があります。アンカーの施工は、「日本コンクリートアンカー工業協会」からD社の丹羽さんに全面協力頂いたのですが、彼の住まいがあり私の郷里でもある岐阜から、長期間泊まり込みで付きあっていただき、親しみとともに感謝しかありませんでした。私も試しに何度か施工させてもらいましたが、ド素人の学生がどんなに頑張ってもプロの技には到底及ばず、NGデータの蓄積に大いに貢献(?)しました。お陰で、あと施工アンカーが施工品質に対して非常に敏感であることを、身に染みて理解できました。この時委員会でお世話になった松崎先生とは、今でもお会いするたびに当時の思い出話をさせていただいています。卒業して今の会社に入ってからは、あと施工アンカーとは耐震補強工事で実務的に関わってきましたが、3.11で天井の耐震性が注目されたのを機に、再びあと施工アンカーの技術開発に携わることになりました。この時仕事の繋がりができたN社の野村君は、偶然にも小中学校の同級生でした。実家が近所の幼馴染相手に何を気取ってもバレバレで、良くも悪くも腹を割った本音の話ができました。会うたびに地元の近況もシェアできて、仕事以外の楽しみにもなりました。ここ数年、強度指定の関係でご一緒しているH社の高橋さんも、なんと岐阜の出身です。こうなると、あと施工アンカーには何か地縁を引き寄せる力でもあるのでは、と自分勝手に思ったりしています。40年の間、種々の関連委員会に参画しながら、法令や技術基準、資格制度が整備されていく様子を横目で見てきました。その中で、業界の先導を担った協会の功績には目を見張るものがあります。一方で、私の中で40年間変わらない施工品質というあと施工アンカーの本質的な課題は、社会の変化に伴って技術論から証明・保証の世界へと拡がり、求められるものは年々高く、重くなってきています。日本建設あと施工アンカー協会には、その負託に応えられる唯一無二の団体として、益々の精進・発展を心から期待しています。安心・安全を30年~30周年記念誌~ |43清水建設株式会社  香 田 伸 次個人史におけるあと施工アンカー

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