30周年記念誌(30th ANNIVERSARY)
79/130

わけですから、先見の明があったと言えるのではないでしょうかね。我々がやってきた仕事もやっと認められた、という感触がありました。安永 なんともタイミングが良かったですね。岡田 それは本当にそう思います。需要が高まったときに、耐震側の基準やなんかも準備できていて、アンカー側もきちんと法人格を有する団体が認める製品を世に出す体制が整っていた。だから一気に広まったのだと思います。逆にいうと、これらの準備ができていなかったら大変なことだったでしょうね。最初の頃は大変でした。静岡でも、学校に調査に行くと「何しに来た?」と言われたりして、耐震の診断だというと、「うちの学校が危ないなんて変なことを言うと信用が落ちるから、そういう話はしてほしくない」なんて言われたりしてね。しかし、時間が経つと変わってくるもので、そのうちに「補強してもらった方が安心できる」という声が次第に大きくなった。静岡県では、そういう感じで10年ほど経つとずいぶん浸透しました。安永 静岡県の学校の耐震補強は1999年くらいには終わっていましたよね。岡田 そうですね。ただ、最初の頃に補強したものは、また調査をやり直さなければならない時期に来ているのではないでしょうか。安永 耐震補強初期の頃のことで思い出すのは、地方の学校の耐震工事というのは、地元のゼネコンなどが受注することが多いわけですけれども、アンカーの施工経験のない業者さんだったりするので、現場ではメーカーからすると考えられないようなやり方をしていることもあったりしました。「これではまずい、本当の耐震にならないぞ」というので、アンカーだけでなく、グラウトも鉄骨もこちらでやっていかないといけない、という話になったりもしました。岡田 アンカーが入らないからH鋼の耳を落とすかとか、穴をあけるかとか、我々も試行錯誤しました。写真1 ページをめくると、瞬時に当時の記憶がよみがえる岡田先生安心・安全を30年~30周年記念誌~ |安心・安全を30年~30周年記念誌~ |7777現場における試行錯誤と「あと施工アンカー −設計と施工−」

元のページ  ../index.html#79

このブックを見る