1982年9月会社の転勤命令で九州の研究所に赴任し、そこで初めて接着系あと施工アンカーと出会い、それが商品名「ケミカルセッター」であり、旭化成が接着系あと施工アンカーの製造販売を始める草創期と重なりました。接着剤の研究をしながら、カプセルを試作し評価する毎日です。ハンマードリルでコンクリートに孔を開け、施工し、引張試験を行うあと施工アンカー評価の繰り返しでした。おかげで、ハンマードリルの扱いはうまくなりました。1983年当時の建設省が国立国会図書館で改築工事を行っており、そこの連壁を利用して各メーカーのあと施工アンカーの評価を行うことになり、九州の研究所から出張スタイルで参加しました。初めて、他社の技術屋さんとの接触です。一年後の1984年4月に旭化成の本社に転勤となり、東京で営業技術という立場で販売店、工事店、設計事務所、建設会社、大学の先生方などあと施工アンカーの関係者にお会いする機会に恵まれあと施工アンカーの知識を増やしていくことができました。1984年7月に日本コンクリートアンカー工業協会(NCAA)が発足し、私は技術部会のメンバーとなり、各メーカーの技術屋さんと議論するようになりました。NCAAの事務所は当初、御茶ノ水駅近くあったのですが、部屋が狭く十分に議論できないため、輪番制で各メーカーの会議室を借りて議論を重ねてきました。今の分類や定義を議論して決めるのですが、なかなか意見が一致しません。僅かな文書作成でも、みんなで議論し数日掛けて決めることもありました。漸くあと施工アンカーの技術資料(案)がまとまり、技術発表会も我々の手で開催していきました。次は、資格制度の確立です。我々技術部会員で試験問題を作り、実技試験を実施していくスタイルで、今のJCAAの試験制度の礎となったのです。ある試験会場での受験者で、あと施工アンカーの施工技術は抜群であるが、字が読めないので、奥さんを横に座らせて受験させてくれと言ってきました。理事さんと相談して受験をOKとしました。手作りの試験制度ですが、あと施工アンカーの施工にはこの資格が必要ですと各方面にPRもしていきました。1993年12月に「社団法人日本建築あと施工アンカー協会(JCAA)」となり、法人化され、試験制度も第三者の先生方の指導を受けるようになり、1996年6月~10月においてNCAA資格保有者もJCAA資格へ移行しました。私は技術部会、製造部会、関東甲信越支部幹事などを経験し、2004年に理事に就任し、広報部会長を歴任しました。その後、2014年にJCAA代表理事に就任し、2022年6月に無事に退任しました。理事で18年、その内代表理事を8年間務めて参りました。NCAAの誕生から現在のJCAAまで協会の業務に携わり、私の人生の約半分はあと施工アンカー業界と共に生きてきたことになります。今後、益々この業界が発展することを祈念して筆をおきます。安心・安全を30年~30周年記念誌~ |47一般社団法人日本建設あと施工アンカー協会前会長 山 本 忠 男あと施工アンカーとともに「私の振り返り」
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