針づくりに関わるようになったのが、アンカーに深く関わるようになったはじまりですね。安永 そうなるとJCAAの前身であるNCAAができた頃から、ということになりますか。あるいはその前からでしょうか。岡田 その前からです。というのも、当時、建築学会で検討をはじめた際、最初にぶつかった壁は「製品がJISにも何にもなっていないものに対して、建築学会が指針をつくるなんて無理難題だ」ということでした。基準がないから基準をつくろう、という話なのに、基準がないから基準はつくれない、と(笑)。しかし、JISの規格化を待っていては時間がかかってしまうから、まずは業界の方で団体でもつくっていただいて、製品の規格や試験の方法をまとめるようにしたらいかがですか、ということを、たしか建築学会からご提案したのだと思います。安永 なるほど、そのような経緯を経て1984年にNCAAができた、と。岡田 建築学会としては、団体の方でまとめてくださったものに対して、どうやって設計するかという観点で指針をつくることになり、1985年に出した「各種アンカーボルト設計指針」の中に「メカニカル・アンカー」という名前でとりあげています。樹脂アンカーも当時すでに存在はしていたのですが、接着剤に何を使っているのかなど不明なところが多く、どうやって基準を決めていいのか分からなかったため、これは「解説」の方で別途取り上げました。安永 初期の頃は、樹脂アンカーは燃えるから火災に弱い、というような話もあったと聞いたことがあります。岡田 それもあるし、エポキシを使っていると紫外線に弱い、という点を心配したんだと思います。使用実績も少なかったので、後回しになった、という感じですね。その後、試験や実績を重ねていくうちに、樹脂系はどんどん増えてきましたね。安永 1995年の阪神淡路大震災の頃、私は四国で勤務していまして。1997年頃から耐震施工の仕事がぐんと増えたのですが、その頃、彫り込みアンカーは施工が大変なので樹脂系に変えましょう、という話がよくあったのを覚えています。その頃には、それが受け入れられるくらいにはなっていたんですね。施工がやりやすくなるという点だけでなく、試験結果などで強度の面でもメリットがあることを示したりしました。岡田 そうですね、耐震補強でも引っ張りを受けるようなところでは、少し深くアンカーして接着系を使ってもらった方がいい、とか、接着系と機械系ではコンクリートの壊れ方が違う、とか、とにかくいろんなことが分かってきて、アンカー全体の信頼性が高まり、条件に応じて使い分けられるようになってきた頃だと思います。安永 その少し前、1993年にはNCAAがJCAAになりました。NCAAの設立から約10年が経ったところですね。岡田 あの頃は今と違って、法人格をとるのは大変なことでしたよね。10年でとったのは早い方だと思いますけれども、信用がついてきた、あるいは需要が増えてきた、ということの証でもあると思います。安永 そうですね、昭和56(1981)年以前に建てられたものは耐震基準が古いので、補強しないといけないということもありましたし、それでも阪神淡路大震災では多くの建造物が倒れて、避難所になった学校については優先的に耐震補強をしよう、とか。当時、静岡あたりは耐震補強が進んでいたように記憶していますが、他の地域ではまだまだこれからという感じで、急速に需要が高まってきた時期だったと思います。岡田 おっしゃる通り、静岡県は東海地震の対策として耐震補強に補助金が出たりして、だいぶ進んでいました。一方で、他の地域は、学校のようなところであっても、耐震補強をするとすれば自費でやらなければならなかった。老朽化による建て替えには補助金が出るので、それなら古くなるまで待ちましょう、という話になったりして、やらなきゃいけないことは分かっているけれども、なかなか進まない。それが変わったきっかけは阪神淡路大震災です。倒壊した建物の多くは、事前に耐震診断をしていれば補強が必要だとされていたはずだった、ということが明らかになった。考えてみれば、その2年前にJCAAを設立していた7676| 安心・安全を30年~30周年記念誌~| 安心・安全を30年~30周年記念誌~日本における耐震補強工事の展開
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